令和4年 清澄山修行御礼の経文供養 会長挨拶
コロナ禍での御山修行は、今年ですでに3年目となりました。しかし、昨年の秋の御山修行よりも多くの方に祈願をして頂いたことに御礼を申し上げます。
一口に「祈願をした」と言いますが、清澄山に行って祈願をした導師も、自宅にて祈願をされた何千人という方々も、正月に大神様から示された各支部の祈願日に、同じ時刻に、多くの仲間と共に一心に祈願をするのは大変な努力であっただろうと思います。そして、その祈願に対して御山修行後の、本部の大神様である普賢大菩薩様の御詞(おことば)では、「一同の祈願 各自各家庭の祈願 確と享け申するにあり」と言って頂いております。一方で導師には「(祈願をした者の)祈願成就なする様 会長の下一丸となりて 初心に還り 希心の法華経何たるかを心に置き 確かと精進なし申せ」と叱咤激励を頂きました。
皆さんは、この度の御山修行はどんな祈願をされたのでしょうか?悪疫の流行で、個々の生活も、社会も、世界中が変わってしまいました。同時に気候変動による影響や、絶え間ない地震などの災害、日々私たちの周りで起こる事件・事故などで私たちの生活は常に脅かされています。そうでなくても、生老病死を含む四苦八苦からは、誰も逃れることはできません。皆さんは、それぞれの苦を少しでも軽減するために日々祈り、御山修行で祈願をされたと思います。
「初心に還る」ために希心會の開教の大綱(HPにも掲載されています)を見てみましょう。「釈迦牟尼世尊の説かれた尊い妙法蓮華経に帰依し、自ら各家庭の御先祖を供養すると共に、菩薩行を実践することにより、各家庭の幸福、国家の安泰、世界平和の実現を期する。」とあります。皆さんが日々読む「薄いお経巻」は「妙法蓮華経」の抜粋ですが、その中にも「此の經は能く一切衆生を救いたもう者なり 此の經は能く一切衆生をして 諸の苦悩を離れしめたもう」とあります。そして、普賢の行を行ずれば「所願虚しからじ 亦現世に於て其の福報を得ん」と示されています。希心會の行のおおもとは、この「妙法蓮華経」です。まだ薄いお経巻しかお持ちでない方は、ぜひ「一部経」を得て読み込んで頂きたい。その方法は、皆さんの導引き親や導師が知っています。そして「先祖供養」です。なぜお経を読むことが先祖供養になるのか、なぜ御山修行に行くことが先祖供養になるのか、自宅での祈願で先祖供養ができるのか、ぜひ皆さんの導引き親、導師に聞いて頂きたいと思いますし、導師は信者の皆さんに、次の行の道を示し、祈願の意味を説かなければなりません。
今年の清澄山修行を終え、現在のコロナ状況を見ると「来年はぜひ皆で清澄山へ行って旭が森で祈願をしよう。そして、より多くの方に自宅でも祈願して頂こう」という思いが強くなります。しかし、その前には秋の身延七面山の修行が待っています。お釈迦様の言われたように、この世は「諸行無常」です。何事も、一瞬たりとも留まってくれません。ゲーテの「ファウスト」には「時よ止まれ、お前は美しい」という名言がありますが、時は止まってくれません。私達人間は、実はそのことをよくわかっています。ですから、常に移り行くこの現世においてもろもろの苦悩を離れ、願いを成就させ、福報を得るためには、日々の変化の中でも恐れずに、先祖供養の行にはげみ、良き順序を頂くことが大事です。行は「自分自身が変化する体験」であり「毎日やること」が重要です。毎日続けることで少しずつ過去生の因縁が、ご自身が変わってきます。だから御山の修行に行くだけではだめで、日々行うことが大事なのです。日々の行があっての祈願であり、御山修行なのです。
私たちが祈願をする清澄山旭が森は、日蓮上人が769年前に昇る旭に向かって初めて「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えた場所です。その日蓮上人は「過去の因を知らんと欲せば 其の現在の果を見よ」とされ、今の自分の苦は過去生の先祖の苦であると言われています。そして「一生空しく過ごして 万歳悔ゆることなかれ」と日々精進することを説かれています。私達も大神様の御詞に従って初心に還り、今なすべきことを為し、日本中の多くの仲間と共に前進の行をして行きましょう。皆さんの、より一層の精進に期待申し上げます。 合掌
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