令和6年 清澄山祈願参拝下山祝賀説法会 会長挨拶

 本年の清澄山修行に多くの導師、信者の方々が修行して頂き感謝申し上げます。
 感染症も収まりつつあるため、今年は久しぶりに小湊の街中を歩いて修行をすることができました。地元の方々からは「希心會が戻ってきたね、春が来たね」と声をかけて頂き大変うれしく思いました。修行前から千葉の沖合で地震が多発していましたが、御山修行がはじまると地震はピタッと止まり、各支部とも安全に修行ができたことも霊界のご順序と思い感謝しています。一方で今年は天候がすぐれず、御来光を見ることが出来た支部は多くありませんでした。しかし、御来光を見ることができなくても太陽は上り、神力品に「日月の光明の 能く諸の幽冥を除く如く」とあるように、皆さんが題目を唱え、修行し、祈願したことで多くの御先祖が成仏しました。御山修行は仲間と共に御題目を唱え、歩き、祈願することが大事なのだと改めて感じました。

 今回修行に参加した方々は、それぞれの日程で祈願する順序でした。各支部の大神様から示された今年の修行の日に、仕事や家庭や学校や様々なことを調整して支部の仲間と共に修行したからこそ成仏できた先祖が必ずいます。まさに一期一会であり、それが霊界の順序です。

 御山修行後に頂いた御指導では、普賢様より「一同ノ祈願享ケ申スル」との御詞を賜りました。皆さんが清澄山で祈願したことを霊界は受け取ってくれましたが、どれくらい善き順序につながるのか、どれくらい因縁洗浄ができたかどうかは皆さんの行次第であり、結果はこれからわかってきます。それはすぐではないかも知れません。皆さん自身が懺悔の心で御山修行をおこない、日々の行を積み重ねて行くことで必ず善き順序につながって行きます。

 同時に普賢様の御詞では、「初心ニ帰リテ希心ノ題目津々浦々ニ広宣流布ナシテコソ国土安穏ニアリ」とお教え頂きました。私たち希心會の行者は、自身の祈願と同時に、この国土国家が安寧であるようにとの大きな祈願も行ってゆかねばなりません。国土が無くなり、国が滅びたら、私たちが帰る家が無くなってしまいます。法華経上の家は法座であり、支部であり、希心會です。

 しかし、このような大きな祈願をすることは容易ではありません。勸持品の中にあるように、行をしようとしても多くのかたきが現れ邪魔をします。しかし、自分の家がしっかりとしているからこそ日々の生活ができ、行ができ、個々のさまざまなことが善き順序となるよう祈ることが出来ます。お経の中には「我身命を愛せず 但無上道を惜む」ということばがでてきます。これは「不惜身命」として、法華経から出た言葉です。皆さんの祈願したことが善き順序につながるためにも、希心の法華経を広めて行くこという使命を認識し、多くの難があってもしっかりと行をしてゆく、そのような決意がこの言葉に示され、私たちに求められています。
 
 さて、令和6年の清澄山修行は終わりましたが、今回それぞれの御山修行で何か感じた方も多いと思います。御山修行で何かを感じた方は、皆さんの廻りの人々へ声掛けをしてほしいと思います。既に本年の秋の御山修行は始まっています。今から相手の方に寄り添ってお話を聞き、声掛けをして、希心の行、次の御山修行に誘って頂ける様お願い致します。
 
 今回も多くの人々の支援があってできた修行であったことに感謝したいと思います。「知恩報恩」と言うことばは、恩を頂いたら次はあなたが誰かに恩を返して行くことが大事ということであり、感謝の心が法華経の心です。

 お釈迦様は「共に道を進む良き友を持つこと自体が悟りに達する道である」とおっしゃっています。仏道は遥かであり、一人で歩み続けることは難しい。だから助け合い、共に進んで行く仲間が必要です。

 日蓮上人は「けわしき山 あしき山 杖をつきぬればたおれず」とおっしゃっています。人生いう険しい山、日々の生活という悪しき山を倒れず一歩一歩あゆんでゆくために、杖とは法華経であり、杖とは共に行ずる仲間です。これからも希心の法華経の道を歩む仲間を増やし、共に前に歩んで行きましょう。 合掌



※下記ダウンロードボタンより、PDFファイル入手可能。