令和7年 清澄山祈願参拝下山祝賀説法会 会長挨拶

 本年の清澄山修行にも全国津々浦々から、また海外から、多くの会員の方々に参加して頂いたことに感謝を申し上げます。

 皆さん日々ニュースなどでご存じの通り、我が国の少子高齢化はその速度を増しています。そして、これから日本の人口自体が減少して行きます。それは、地域の自治体、学校、企業やスポーツ団体、青少年団体、宗教団体その他あらゆる団体や人の集まりも影響を受けてきます。もちろん私たち希心會もその変化の渦中にいます。

 この大きな社会的変化と共に、人々の生活も大きく変わってきています。情報機器の発達により仕事のやり方が変わり、暮らしが変り、人間関係だけでなく、家族のあり方も変化しています。そのような変化の中でも変わらないもの、それは私たちの「生老病死」という事実です。私たちは幸いにも人間に生まれましたが、誰でも病を得、年をとり、そして死んでゆく、これは、遠い過去からずっと変わっていないことです。
 
 日本の人口が減少しても、社会が変化しても、人々はいろいろと工夫をして生活を営んでゆくでしょう。しかし、生きる苦しみ、老化の苦しみ、病を得る苦しみ、そして命を終えて行くという現実は変わりません。どのような立場、どのような人であってもその現実に向かい合って行かねばなりません。

 お釈迦様は「四苦八苦」として、人生にはどうにもならない4つの苦、8つの苦があると説かれました。これは、生老病死という生きる上での根本的な苦しみに、愛する者と別れる苦しみ、怨み憎しんでいる者と出会う苦しみ、物だけでなく願いなど求める物が得られない苦しみ、自分の身体や感情が思うようにならない苦しみのことを言いますが、「苦」とは語源となったインドの言葉で「思い通りにならない」という意味です。
 
 『譬喩品』には「諸の衆生を見るに生・老・病・死・憂悲・苦悩に焼煮せられ・・・」とありますが、私たち衆生は、常に四苦八苦に焼かれ、煮られています。そして、人生には四苦八苦以外にもたくさんの苦しみ、思い通りにならないことが存在します。皆さんが希心會の行をするのもそうではないでしょうか?皆何かしら悩みや苦しみ、願いを抱えての日々の行であり、今回の御山修行だったと思います。

 その御山修行を終えて、皆さんからは「修行に行ったおかげでこんな良い功徳、順序を頂いた」との報告が多く来ています。一方で「私の願いはかなっていない」と言われる方も多いと思います。しかし、私たちの過去世の悪因縁はそう簡単にきれいにはなりません。億億万劫という永い、永いそれぞれの過去世での因縁を、一つひとつ、薄皮をはがすように少しずつはがして行く必要があります。

 御山修行終了後に普賢菩薩様からは「堕した先祖は多い、その苦を覚れ」と教えて頂きました。希心會では、また大乗仏教では、自らのことだけでなく、この世に生きる者すべてを救って行くということを目指していますが、自らの先祖を供養し、悪因縁を洗浄するだけでなく、皆さんの周りにいる人々の苦を救う、つまりそれらの人々の先祖や因縁をも供養してゆくことが、皆さん自身の善き順序につながって行きます。

 「自分のことだけを考えない」のはなかなか難しいと思います。お金にしても、時間にしても「あの人は多い、少ない」と比較しては憤慨したり、悲しんだりしているのが世の常です。しかし、自分自身は他人に替わることはできません。すべては自分の人生であり、自分に与えられた生活であり、自分自身の行であり使命です。

 本日皆さんとあげたお経の最後は『嘱累品』でしたが、「嘱累」とは「伝える」ということであり、お釈迦様が私たちに教えを授け、それを広めるようにとゆだねることです。私たちはこの「伝える」という意味を自覚し、これからも希心の法華経を正しく伝え、共に道を歩む仲間を増やし、皆さん個々の人生の使命を果たして頂けますようお願い申し上げます。 合掌



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