令和5年 身延祈願参拝終了の集い 会長挨拶

 今回の秋の御山修行は、春より2支部増えて23支部となり、全国から、また海外からの多くの導師、信者の皆様と共に修行ができたことを感謝致します。
 
 希心會でも高齢化が進み、多くの者が身延七面山には登れないという状況を考慮し、そして、希心會の御山修行は導師、信者皆と一緒に行をすることが大事なのだということを考え、新たに日蓮上人以来日本の法華経、御題目の中心地である身延山でも修行をさせて頂きました。皆さんからは、導師、信者が協力して一緒に修行し、皆と共に祈願ができて大変良かったという声を多く聞いています。一方で、本年はまだ感染症の影響は続いており、御山修行を断念された方もありました。
 
 現在のように高齢化が急速に進み、目まぐるしく変化する社会状況の中で、これからは希心會の御山修行のやり方も毎年の様に変わって行くでしょう。そして、御山修行は毎年の行事ではなく、大神様に御許しを頂いて初めて修行ができるのだということを肝に銘じなければなりません。私たち一人ひとりの日々の行が足りなければ、御山修行が出来なくなる時は来ると思います。御山修行をお許し頂いたとしても、年齢や病気や怪我、仕事や家族の都合など様々な要因で修行に行けなくなるのです。ですから、日々の行を積み重ね、大きな先祖供養、因縁成仏のできる御山修行の機会を逃さないで頂きたい、それをできるだけ多くの方々に伝えて頂きたいと思います。

 「袖振り合うも多生の縁」という言葉がありますが、これは「多かれ少なかれ」という意味ではなく、「多くの生」または「他の生」です。私たちの命は前生の繰り返しで、身体的にも霊界的にも無限の過去に遡ることができます。街ですれ違い、袖が触れ合っただけの人でも必ずどこか過去生の因縁でつながれているという考えです。お釈迦様は、すべては原因があって結果がある。それを因縁と呼び、今あるものはすべて過去の原因によって起こっていると説かれました。ですから、自分の家族や知人も、希心の法華経に出会ったことも、今回御山修行に行ったのも、すべては因縁因果によって導き出されたものであるということになります。
 
 そのような縁で行った今回の御山修行を、希心會の仲間と共に修行をされた皆さんは、大変すっきりとした良いお顔をされています。日々の生活から離れ、自然の中で皆が一緒になって大きな声でお題目をあげ、お経を一心に読み、皆さんのお話を聞いたり、自分のことを話したりしてリフレッシュされたからだと思います。同時に、そのような行をされたことで多くの御先祖が成仏し、大きな因縁が洗浄されたからだと思います。しかし、家に帰ればまた仕事をし、学校に行き、社会で生きて行くと、また新たな因縁に出会ってしまいます。「袖振り合うも多生の縁」のとおり、皆さんの周りにはまだまだ多くの、過去生で縁のあった者たちに満ち溢れています。そして新たな因縁が生じます。それが良い因縁の場合もありますが、悪い因縁、つまり仇こそ多く近寄ってきます。その因縁を洗浄成仏させるために、また日々しっかりとお経をあげ、導引きをし、行をしなければなりません。そして日々の行では成仏できない因縁を、また御山修行に行って洗浄しなければなりません。
 
 修行は個々のものですが、お釈迦様は「さとりに至る道は善き仲間を得ること」であると説いておられます。「善き仲間」とはお経巻の随所に「善知識」として出てきますが、「善知識は是れ大因縁なり」とも説かれています。善き仲間は善き因縁ですが、禍福は常に逆転します。大きな善き因縁は、大きな悪しき因縁になることがあります。だからこそ日々の行を欠かさず善き因縁はそのまま善き友とし、悪しき因縁は日々の行、そして御山修行で成仏させる行が必要なのです。
 
 皆さんのように真剣にご自分の先祖を供養し、悪因縁を洗浄する行をされる方には霊界は手を差し伸べてくださいます。ぜひ希心の法華経に出会った縁を大事にして頂き、それをできるだけ多くの皆さんの周りの人々に伝えて頂きたい。それは、私たち個々を御守り頂くだけでなく、国土国家御皇室の安泰、世界平和といった大願祈願につながる行をしているという   
自負を持って頂きたい。 
 また次の行に向け、たくさんの仲間と共に前進の行をして行きましょう。合掌


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