■【旧】会報第3号「衆生を救って救われる法華経 経巻を信じ解しなさい」

・号数・発行日  第3号 昭和40年3月1日
・題    名  衆生を救って救われる法華経 経巻を信じ解しなさい    
・筆    者  故初代会長 飯島将吉

 日蓮聖人の仰せには、「行者は必ず不実なりとも、智恵は愚かなりとも、戒徳(仏の定めた戒めを良く守った功徳)は備えずとも、南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし」とあります。これを各宗教団体などが、ただ南無妙法蓮華経と題目だけを唱えておれば、お経を上げなくても良いとしているがそうではありません。「不実なりとも」とは、まだ完全に実らなくとも、「智恵は愚かなりとも」とは、智恵を立派に授かっていなくとも、「戒徳は備えずとも」戒徳はこの経巻に戒めの言葉が沢山ある。その戒めの言葉を全部守り備えるまで達せずとも、南無妙法蓮華経と唱えれば守護し給うべしという事は、この題目を唱えて、この経巻を上げ、できないながらも行を一つずつでもしようと心がけて行くものが行者です。
 また経巻を神、先祖に上げるだけと思っている人が多いが、それは大きな間違いです。どうぞこのお経巻をお上げさせて頂きます。このお経巻を差し上げます。私がこのように行じます故どうぞお守りくださいと、誓約して(お経を)上げるのです。そうしたなら経巻にも、「念々に疑いを生ずること勿れ」と説かれてあります。経文の意味を良くかみしめて、会得して上げるように心がけるのです。
ところが多くの人が只べらべらと早く上げる事だけが仕事とするならば、必ず粗末になる。丁寧にすれば良い仕事ができる。この経巻も自分が会得しようとしながら上げるなら、べらべら上げられるものではない。
 また法華経を真に行ずる者に魔は戦ってくるのです。お経を上げない者、行じない者は全部魔です。経巻にも、「魔、及び魔民ありと雖も皆仏法を守らん」と記されてあります。経巻を上げてこそ初めて善男善女となる順序の誓約をしているのですから、経巻の中を良く悟って上げるのです。
そしてただ本部にお参りしただけで帰らず、一言でも質問して一つずつでも覚えて帰って頂きたい。経巻に「信ずる者少なし、解する者少なし」と説かれてあります。信ずる者、解する者はなかなか少ないのです。また説法を聞いたら、その通りに行じるように心がけることが大事です。導引き功徳を積まなければ、自分の難は逃れられない。会社へただ顔を出しているだけでは、遊んでいてはクビになってしまいます。会社のために働いてこそ、給料をいただき家族を養えるのです。
 また農家の方々が田畑をいくら持っていても、ただ見ているだけでは生えるものはただ因縁と雑草ばかりです。耕して作物を植え付けて手をかけてこそ、収穫を得られるのです。法華経もただ過去帳を祀っているだけでは、守護はありません。法華経を行じ、導引き功徳を積んでこそ収穫されるのです。農家でも沢山耕作しなければ、生活を楽にすることはできない。自分の家で食べるだけの耕作だったらどうなるでしょう。大工さんが、お得意の旦那方の家を建てて初めて金銭を得られる。自分の家ばかり毎日建てていて生活して行かれるでしょうか。洋服屋が自分の洋服ばかり作っていられるでしょうか。
法華経は、一切衆生を救い給うものなり。また、「今この三界は皆是れ我が有なりその中の衆生は皆これ我が子なり」とあります。日本人は皆家族であり、世界各国は皆友達です。それらを導引いて救うことです。

慾の心を捨てなさい
 それを忘れて、只々働いてお金を貯める事ばかり慾にとらわれることは法華経の行者の道ではありません。お金はもちろんなくてはならぬものですが、使い方によって、人を救いいろいろ善を施すことにより尊くもなりますが、一方ではお金によって人を害し、己を害し、悪を働くものとなります。お金お金と執着することが最も良くないことです。いくら貯めても死んで持っては行けません。食べるに困らぬだけ有れば良いとして一生懸命働き、法華経を行じて導引き、あまたの方をお救いするならば、神、先祖は必ず捨ててはおきません。経文にも「現の果報を得べし」と説かれてあります。一心に行じて功徳を積むならば神先祖は捨てておかず必ず現の果報を頂いて、お金は沢山貯めなくとも、病気や災難も逃れ、安穏に暮らして行けるのです。
お金をいくら沢山貯めても、お金では買えない命や、災難を受けては苦しんで働いて、貯めたお金も無駄に使ってしまうことになります。それよりたとえ収入は満足でなくとも、無駄に使わずに済むよう、病気や災難を受けないよう、一家が健康で楽しく過ごせるよう、現の果報を得られるよう、法華経の行に一心に遭進して多くの方をお救いできるよう、努力されることをお願い致します。

家中揃って行なう法
 一軒の家にしても、親がやって子がやらなかったり、嫁さんが一生懸命にやって姑がやらなかったりして邪魔をしている家が沢山あります。また年寄りだけがやって、若い者がやらない、年寄りは先に霊界に帰るのが普通ですが、若い者がやらないで死魔、大魔が入ったらどうなるでしょう。若い者がやらないと家庭は暗闇になる。家中が一生懸命にやらないと防ぐことは困難です。食物でも年寄りが食べても若い者が自分で食べなければ、腹がすいたのが満たされない。小学生でも誰でも何処の家庭でも、お経を上げるようにさせて頂きたい。誰でも子は可愛い、生まれればお腹の中にいる時より、何倍も可愛い筈です。誰でも、今の若い者は言うことを聞かないと自慢のようにしている。聞かないのではない、親が聞かせるようにやらせるようさせない。やらないのはよく先祖に念じ、懺悔して導引き功徳を積み、順序を取ればやるようになる。自分の足りないのを若い者になすりつけている。狐や狸を拝むのではない。代々の先祖を拝むのです。普通の家では、おじいさんおばあさんはまた自分のおじいさんおばあさんを知っている。順序にたどって行けば、ずっと昔々の尊い先祖の所に通じている。その先祖の御供養をするのです。
年寄りも若い者も、子供も共々にお経を上げ先祖に孝養をつくしたなら、病気災難に苦しむことも少なくなり、幸福な家庭をいとなむことは当然です。私は皆さんの幸福を願って日夜法を説き努力をしているのです。広宣流布して頂くことをお願い致します。

(一部の語句、書式等を変更しています。)


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