令和元年 身延七面山祈願参拝下山祝賀説法会 会長説法

 希心會の御山修行は、毎年行うことができる年中行事ではありません。希心會の大神様であらせられる普賢菩薩様に、毎年正月三日にお願いして御許し頂いた場合にのみ実施することができます。しかし、今年も台風で山上へ行けなかった修行、日帰りとなった修行、交通機関が止まって本部道場にも来ることができなかったこともありました。つまり、御山修行はお許しを頂いても、必ず修行ができるとは限らないのです。まさに一期一会の修行なのです。

 現在に生きている私達は、過去遥かな先祖からずっと繋がっているので、私達は皆先祖の業障を背負っています。つまり、先祖の苦しみは自分の苦しみ、先祖の成仏は自分の成仏なのです。先祖の成仏が今生の順序につながるとすると、先祖の供養をお寺などに任せるだけでなく、自分の先祖は自分自身で供養すべきなのです。私たち一人ひとりは皆違った因縁を持っていますので、大人、子供皆それぞれが、自分自身で先祖供養の御山修行をしなければならないのです。ですから一人でも多くの方に御山の修行に来て頂きたいのです。

 人に元々善悪は無く、善悪は縁によっておこります。一心に修行すれば良い縁ができ、因縁も洗浄され、心も結果も良くなります。反対に適当に修行をすれば、先祖成仏はできず、悪い縁に出会い、心も結果も悪くなります。今回皆さんが修行を通して一生懸命お題目を唱え、御経を上げ、色々な説法を聞いたりしたことで、多くの先祖成仏ができ、皆さん自身の悪因縁洗浄ができ、いろいろな功徳、良い順序につながってゆきます。それが巡りめぐって天変地変や凶悪犯罪などを治めることにつながります。個々が不幸せで、この世界が良くなるということはないのです。

 そして、今年の御山修行は、今回山上でも、麓でも、修行に行こうとし、また行きたくても行けなかった修行をした個々のものですから、それぞれの修行をした個人々々がこの御山修行の成果を判断すべきなのです。七面大明神のあの参道は下ってまた登る山であり、登って下る山ではないのです。私達一人ひとりが母の産道を通ってこの世に出現したように、七面大明神の参道を下って娑婆で心新たに修行をする。そうすると、日々次から次へと「なぜだ?」という因縁事が出てくる。そういう時には法華経に、御題目にすがる。日々の行で迷ったら、お経巻に戻ることです。お題目を唱えることです。お経巻の中に答えがあります。お経巻の文字の数だけ答えがあります。そしてそれは、南無妙法蓮華経の七字に凝縮されているのです。その法華経行者の守り神が七面大明神なのです。七面山の修行は、どのようにしたら願いがかなうのか「気付きの山」であり、どの様に気付くのかが、修行をしたそれぞれへの問いなのです。そして改めてその気付きを求めたいならば、また七面山の修行へ行くべきなのです。

 さて、遠い過去の先祖から連綿とつながってきた今の我々は何ができるのでしょうか?それは「聞いてくれる人」を探し、希心の法華経を説くことです。導引くことです。そして、しっかりと祈願をすることです。自分のことだけでなく、他人のこと、この世界のことを日々祈り、祈り続けること。そしてまた、希心會の御山修行を目指して頂くことが大事です。

 今の人生は一度きりです。それぞれが、それぞれの人生を良く生きることが人生の目的です。そのための悪因縁洗浄成仏、そのための先祖供養であり、その集大成が御山修行なのです。立ち止まっている時間はありません。人生はその日一日しかありません。これからも一緒に前進をして行きましょう。合掌


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