R6年 第72回開教記念日会長挨拶

 本日希心會は、開教72周年の記念の日を迎えることができました。昭和28年2月11日に、初代会長 飯島将吉によって戦後8年に発足した希心會は、なぜ長きに渡り行を続けてこられたのでしょうか?
 
 希心會は、広く世間に知られている大きな教団ではありません。毎年会員数は多くは増えませんが、反対に多くは減らず維持をしています。希心會が70年以上続いて来た理由は、もちろん希心の法華経を行ずれは善き順序が頂けるからですが、その善き順序を頂くために大事なことは、「礼」であると言えます。
 
 御指導でも、神様から「礼無き者は守護し難し」と言われることがあります。希心の法華経を行ずるには、まず「礼」を持ってすることが大事です。これは、日本伝統の多くの「道」と同じです。茶道、華道、香道、剣道、柔道などあらゆる道は、すべて礼に始まり礼に終わります。そして、私たちの希心の法華経の行者も仏道という「道」を歩みながら、菩薩行を行っているのです。

 今年も大神様の御慈悲により、春、秋の御山修行をお許し頂きました。御山修行を行うには、出発の前に「お願い参拝」として無事御山修行ができる様、導引き親の法座に挨拶に行き、支部法座に挨拶に行き、本部に挨拶をして初めて御山修行ができます。そして御山修行から帰った後もまず本部の大神様に挨拶し、支部の大神様に挨拶し、親法座に挨拶し、そして我が家の法座に挨拶し、御山修行が無事できたことを報告する「お礼参拝」をしています。御山修行は、このような礼があって初めて祈願ができるものと教えられています。御山修行だけでなく、日々の行も本部大神様、支部大神様、親法座の神様に礼を尽くすからこそ御守り頂き、善き順序を頂けるのです。

 最近世の中の人々は挨拶が出来なくなっていると感じます。これは若い者だけでなく、年配者も同じです。その態度を見て、若い者も挨拶、つまり礼をしなくなっているのでしょう。こちらが「こんにちは」と言っても相手が無視すれば、おそらく「何だ、もうあの人に挨拶などするものか」と思います。神様への挨拶も同じで、御願いばかりして礼を欠いていれば、神様だってそっぽを向いてしまいます。

 礼儀が大事ということは、今のことばで言えばコミュニケーションが大事であるということです。英語のコミュニケーションには、「双方向」という意味が含まれています。人々の間の挨拶も、神様への礼も双方向であると思います。こちらがしっかりと挨拶をし、礼を尽くせば、相手はそれに応えてくれる。反対に挨拶も礼もなければ相手も応えてくれません。

 礼については、お経巻にもたくさん記述がありますが、例えば『安楽行品』には「十方の諸の大菩薩に於て常に深心に恭敬・礼拝すべし」とあり、諸佛諸天善神への礼を尽くし、行をすることの大事さが述べられています。

 希心の法華経の神髄は開教時も今も変わりません。しかし、時代、社会、人々の変化の中で、希心會もその時その場に合わせて変化してきました。社会が激変してゆく今、希心會の「立教の大綱」を忘れず、どのようにしてゆけば私たちの行を、これからの人々にわかってもらえるのか、何を守り、何を変える必要があるのかを常に考えて行ってほしいと思います。そのために、支部内、特に導師間はコミュニケーションをとって頂き、意見を出し合って、それぞれの支部をより良き支部にしていってほしいと思います。そのための潤滑油であり、希心の行の基本が「礼」であるということを忘れないで頂きたいと思います。これからも皆さんの精進に期待致します。 合掌



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