令和3年 清澄山修行御礼の経文供養 会長挨拶

 昨年より続く世界的な悪疫のまん延は、未だ終息の気配が見えず、私たちの生活を脅かし続けています。希心會の行も大きく制限されており、私たちの行の中で大事な御山修行についても同様です。

 このような状況の中で、本年の清澄山修行は、各支部の代表導師による祈願参拝となりました。そして、すべての支部で本部御旗、支部御旗と共に清澄山に参拝を行い、本部の大神様であられる普賢大菩薩、そして各支部の大神様と共に、多くの導師、信者の方々が自宅で祈願をして頂いたことに感謝申し上げます。今回は、コロナ禍という状況だけでなく、いつもはお身体の具合が悪かったり、高齢であったり、遠方であったり、家族の介護をしたり、また経済的な理由などから御山修行に行くことができなかった、数多くの方々が共に修行をして頂きました。皆さんからは「今年は祈願ができてよかった」という声をとても多く寄せて頂きました。改めて御礼を申し上げます。

 希心會の多くの会員にとって、御山修行に対する思いは大きなものがあると思います。しかし、初代会長は「いつかは御山修行ができなくなる日が来る」と言われていました。その時はまさに今ですが、私たちには御山修行ができない時の行のあり方、行へ向かう姿勢が問われています。希心會として、今後も御山修行が再開できるよう考え、取り組んで行きます。しかし、コロナ禍の前とまったく同様にできるかどうかはわかりません。現在の会員の皆様は、今の御山修行のやり方しか知らない方が多いですが、当初の御山修行は行衣を着て、本厚木駅から電車にのって千葉の清澄山、山梨の身延七面山に、2泊3日の行程で行をしたのです。その修行を思うと、御山修行もその時その時にできるやり方で行ってゆくべきであり、「すべてはうつろいゆく」今生では、変化ということを受け入れる必要があるということを、常に考えてゆく必要があると思います。

 そして、先に申し上げた様々な理由で御山修行に行きたくても行けない導師、信者の皆様がたくさんいるということも忘れるわけにはゆきません。本部近郊あるいは支部近郊にお住まいの方には、本部、支部への参拝は普通のことですが、御山修行どころか、本部、支部への参拝もできない方たちがおられるということを常に思い、心を寄せて行かなければなりません。

 改めて申し上げるまでもなく、希心會の行のおおもとは「先祖供養」です。私は、御山修行もその先祖供養という行の中で位置付けるものと思っています。初代会長は「何か事があると、私は山(御山修行)に行きましたというが、山へ行かなくともいい。(精進していない者に)私は行ってもらいたくない。ふだん徳を積んで、あらゆる精進をして、残った因縁に成仏してもらうために行くのがお山の修行です」と教えて頂いています。御山修行ができない今、私たちはもう一度この「先祖供養」に立ち還り、日々の精進をしっかりと行い、御山修行が再開されることを願いながら、今後も前進の行をしなければならないと思います。
 
 今回の清澄山修行では、本当に大勢の方々が祈願をして頂きました。その中には、今まで祈願などしたことのない方、読経に慣れていない方、さらに希心會に入会したばかりの方も含まれています。日蓮上人は「根深ければ 葉枯れず」とおっしゃいましたが、今回祈願をされた多くの方々は希心會の「根」です。一人でも多くの方が共に祈願し、この国に希心の法華経の根がしっかりと深く張ることで幹が育ち、枝が伸び、葉が繁って、『薬草喩品』にあるように多くの「法雨」を受けることができます。皆さんの日々の行こそが先祖供養という「葉」を枯らさず、皆さん自身の、この国の、この社会の因縁洗浄をすることにつながります。皆さん一人ひとりの因縁が浄められることにより個々の祈願が成就でき、それがこの社会全体を善き方向に導いてゆく基となります。ですから、これからも導引き精進に励み、共に祈願、共に行ずる仲間を増やしていって頂きたいと思います。
 
 本部の大神様からは「皆の祈願は享け取った。祈願成就はこれからの精進努力による」と言われています。ぜひコロナ禍の中で、どのような行ができるかを一人ひとりが考え、会員同士が協力し合い、より善き行に邁進して頂くことを、心よりお願い申し上げます。 合掌


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