平成29年3月号 開教記念日会長挨拶



 本日開教記念日を迎えるにあたり、大神様から「亡き師の教え、先人の労苦に思いを致し、良き説法会とする様心を合わせ行なし申せ」と御詞を頂きました。亡き師とは歴代会長夫妻であり、既に霊界に帰られている皆さんそれぞれの支部長や導引き親のことであると思います。
 「先人の労苦に思いを致す」とは、命を懸けて希心の教えを信じ、行じてきた先達のことを思うだけでなく、今この時に希心の法華経を行じている私たち自身の行をふりかえり、反省することだと思います。
 
 初代会長は「導引くのは難しくない、法華経の行者にすることが難しい」と言われ、会報「希心」の第1号では「会員と信者と行者は違う」と述べられています。私も皆さんも希心會の会員ですが、会員でなくても法華経の行者はおられますし、反対に会員だからと言って「私は法華経の行者です」と胸をはって言える私たちなのかどうか、会長以下全会員が、この開教記念日に自らが問うべきであると思います。皆さん「修行だ修行だ」と行じているように見えますが、本当に行いが伴っているでしょうか。「南無妙法蓮華経」とは「一心にこの妙不可思議な法を信じます、行じます」ということであり、法華経の教えの神髄は「衆生の救済」つまり「世のため、人のために行ずる」ということです。「修行だ、御指導だ」と騒いでいるだけでは「自分のためだけ」であり、少しも人のために働いていない。そこを考えられるかどうかで「単なる会員」と「法華経行者」との違いがあると言えます。
 
 もちろん世のため人のため、世界平和の実現は、私たち一人の力ではできません。しかし歴史を振り返ってみると、歴史はその時その時の、一人ひとりの努力によって培われてきたことがわかります。私たちは地涌の菩薩の様に地面から湧き出、地面に足をつけてこの世の中のため、苦しんでいる人のために働かなくてはなりません。「自分がよければそれでよい」という人はこの希心會にはいないと信じるし、そうあってはなりません。ですから「己の行を振返る」とは、自分のまわりの、自分と因縁でつながっている人たちのために行動ができているかどうかを考え、反省し、次の行動につなげることです。困っている人、苦しんでいる人を見つけたら、先祖供養のお話をしてあげて導引くこと。導引くということは、その人とは過去生の因縁でつながっているということです。そして、支部、本部に参拝し、御山修行にいざなうこと。
 
 そして、礼を尽くす、感謝をするなど、人として基本的なことを知らない、わからない人がたくさんいるのでそれを教えてあげる。これは自分自身ができていなければ教えることはできません。「礼なき者は守護し難し」と神様から言われることがありますが、感謝する、礼を尽くすことが希心會の教えの基本です。つまり常に謙虚さを保つよう心がけることが大事です。「自分は行ができている」と思った瞬間、その人は過去にどんなに行をしていても、どんな役についていてもただの会員になっています。法華経行者ではなくなっています。私たちは自己満足で行をするのではなく、お釈迦様の説かれた妙法蓮華経に帰依し、先祖供養をすることで過去世の因縁を洗浄し、他の人々を、衆生を救い、そして自らも菩薩になるべく修行をしてゆく。これが希心會の会員として、法華経行者として歩む道であると思います。
 
 本日皆さんと上げた『普賢菩薩勧発品』には「諸佛に護念せらるること、諸々の徳本を植えること、正定聚に入ること、一切衆生を救うの心を發すこと」の四つをすることができれば、必ず法華経の教えを体得できると説かれ、この行いこそが「法華経の行者」であると思います。
 
 私たちは「希なる心(存在がとても少ない良い心)の会-希心會」に巡り合い、諸佛 諸大菩薩 諸天善神に、そして先人に護られて行をさせて頂いているという感謝の心をもって、日本中の仲間と共に行をしてゆきましょう。


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