平成28年身延七面山祈願参拝下山祝賀説法会 会長説法



希心會の御山修行は、毎年正月に大神様から御許しを頂き、皆さんが修行する日程が決まります。しかし、終われば修行時の事を忘れる方が多いと思いますが、ぜひもう一度皆さん自身の修行の直前を思い出して頂きたい。
天候の不安、体の不安、娑婆の日程の不安、そして特に導師は「誓約人員」という使命に対する不安などいろいろな思いがあって参加したと思います。皆さんおそらくこの道場に来た時が、その思いのピークだったのではないでしょうか。その時の不安な気持ち、一方で「これから修行に行くぞ」と思った時の事を思い出してください。そして、修行に行った方は翌朝祈願をした時の気持ち、修行を終えて帰宅した時の気持ちを思い出して頂きたい。また、行けなかった方はその時の気持ちを思い出して頂きたい。
今年は長雨が続き、多くの支部で雨の修行となりましたが、修行は御来光を拝せるかどうかではなく、会として、支部として、そして皆さん一人ひとりが日々の行ではできない先祖供養ができ、祈願ができたかが大事なのです。

修行は個々のものであり、人生は一期一会の連続です。毎年御山修行に行けるとは限りません。
今回修行をした身延七面山の七面大明神は、仏教が日本に伝わる以前からずっと山上の一の池に住んでいた。そして法華経に出会って成仏できた神様だと言われています。そして、末法の世に正しい教えを守護すると宣言された神様です。この正しい教えが法華経でないとしたら、今から700年ほど前、日蓮上人の前に七面大明神の化身が現れることは無かったでしょう。私たちはその法華経を信奉し、一人ひとりが様々な願い事を抱えながら修行を行いました。あの五十丁の山を登り、また麓で題目を唱え、先祖供養、因縁成仏を願って祈願に行きました。

いつもお話しすることですが、七面大明神は左手に摩尼宝珠をもっている、これは仏教では「意のままに様々な願いをかなえる宝」とされている、つまり私たち一人ひとりの祈りであり願いです。そして右手にはその宝の入った宝物殿を開ける鍵をもっておられます。私たちは、七面大明神からその鍵を頂くために修行に行ったのです。山上に行って御開帳をした方は、七面大明神の御座します摩尼宝殿の頭上の額に「感応」と書いてあったことを覚えておいででしょう。私たちがしっかりと修行をしたならば、七面大明神は必ずその思いを「感じて応じ」てくれ、皆さんに宝を得る鍵を渡してくれます。しかしその鍵を得られたどうかは皆さん次第です。

身延七面山は、修行をした一人ひとりが山から下り、また日常の生活に戻って、娑婆でどれだけ題目にすがって行ができるかという決定をしに行く山であり、決定を試されている山なのです。私たちが皆母の産道通ってこの世に出た様に、新たな気持ちで修行から帰り、また新たに日々の修行をするために行をしたのです。
そしてもし祈願が叶い、鍵を授かった方は、次は御礼に行かねばなりません。鍵を授かったと思えなかった方は、また修行に行かねばなりません。どちらにしても来年また希心會の身延七面山修行には行かねばならないのです。でも希心會としても、我々個々としても、必ず来年修行ができるという保証はありません。ですから一期一会であり、「また次にしよう」は無いのです。

希心會の御山修行は、特に身延七面山修行は「病気を治してくれ、商売がうまくいってくれ」ではなく、「どのようにしたら病が治るのか、願いが叶うのか」を「気づく修行の山」だと思います。そして、どの様に気づくのかが皆さんそれぞれへの問いなのではないでしょうか。

私たち希心會が行っている菩薩行の究極の願いは衆生の救済です。
『化城喩品』に「衆生此の法を聞かば 道を得若しは天に生じ 諸の悪道減少し 忍善の者増益せん」とあります。皆さん自身が良い人生を送れるように、この国の、この世界の人々が幸せになるように祈願して頂き、皆さんの周りの人々に声をかけ、希心の法華経を説き、広めて頂き、今後も一緒に前進の行をして頂けます様お願い致します。


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