■【旧】会報第4号「四恩に報いよ 法華経は正しく行じてこそ功徳がある」

●号数・発行日 4号 昭和41年10月1日
●題    名 四恩に報いよ 法華経は正しく行じてこそ功徳がある
●筆    者 飯島将吉

 この法華経は如何なるために世に出来したか。釈尊は如何なるために行じたか。世間の苦を救おうと艱難辛苦の修行をなされ、一切を悟り、法華経によって一切が救われることを教えられました。その間、正法、像法、末法と説かれ、釈尊の教えの正しく残っている正法時代。仏像、画像を飾って拝む像法時代。そして現在の末法に入ることを説かれています。その末法の恐怖悪世の世に真実の法華経が出て、世を救わなければならない恐怖悪世とは、口にも筆にも現せないような荒れた世の中のことです。そういう世の中では法華経でなければ救われなくなる。難も除けられない。
 
 経文に、「十方世界の中にはなお二乗なし、いかに況(いわ)んや 三あらんや」と説かれています。五濁の悪世とは、自分さえ良ければよいと自分の欲のため、また人を殺し、色々な争いを起したり、金を盗ったり、このような世の中には皆、身から心まで汚れて、綺麗になろうとしない。善になろうとする者が少ない。それぞれ勝手なことをしている。その時に、一乗の法によって、救い、救われ、正しい世にしなければならない。
 
 十一番の経文に『平等大慧、教菩薩法、仏所護念の妙法華経をもって大衆のために説き給う』とある。お互いに教えのごとく、正しく、しつかり行じて功徳を頂くようにしていただきたい。同じ経巻を持っている宗教団体は沢山あるが、その経巻の如くに教え、また行じている会は少ない。正しくとは、その教えのように、欲にとらわれず、衆生皆我子なりと救う心で行じることである。法華経をダシに使って、もうけるのは「五欲に著し悪道に堕ちなん」で、自分の欲ばかり考えることは独善者と言って行者ではない。時勢が悪いと世の人の故に逃げ口上を言う者が多いが、時勢とは空気ではない一人々々の心、心から出ること。心が悪いから、それにつれて行ないも悪くなる。その心や行ないを直し、善に進ますことは、正しい法華経を持って行なわなければならない。そして、正しい人が多くなり、また、病気事故災難の無い安隠な国にすることが法華経の目的であり、(法華経で)各家庭も安隠になる。
 
 法華経は恩を知らなければならない。四恩を説いてある。父母の恩、国土の恩、衆生の恩、三宝の恩である。誰でも親の情によって成長してきた。私は貧乏に生まれたから財産もなにも残されない。などと恩と思わない者がある。貧乏の親ほど苦労して子供を育てている。この国に生まれて、その恵みを受けた恩。誰でもそれぞれ世の中に一人では生きてゆけない。多くの人によって、たとえば大工さん、その他の家財道具屋さん、洋服屋さん、食料品屋それぞれの商売の人によって、服を着、食べ、家に住み生活ができる。その恩を忘れてはならない。三宝とは、仏、法、僧。一切の経文の中に法華経第一なりと説かれた釈尊の恩を忘れてはならない。幸福も寿命増益も頂ける。釈迦如来、日蓮上人のなされた苦心の修行はその前にも後にもない。人のおよばない行をなされて残された教え、その三宝の恩を忘れてはならない。それらの恩を忘れず、恩を報いるには、しっかり法華経を行じ、先祖を供養し数多くの悩み苦しむ家庭を救い上げることです。狐や狸を拝むのではない。骨も血も肉も頂いている代々の自分達の先祖に供養することで、子孫としてなすべきは当然です。釈迦如来、日蓮上人も説かれているように、先祖を供養できない者は、犬畜生にも劣るとあります。どうか、各家庭がそろって正しい法華経で先祖を供養するように、一天四海皆帰妙法とならしめるよう広宣流布に努めて頂きたい。
(一部の語句、書式等を変更しています。)


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