平成31年 開教記念日会長挨拶

 希心會は昭和28年2月11日に、初代会長である飯島将吉によって始まりました。そして世は昭和から平成に、そして新たな時代に変わってゆきます。年号だけでなく時代が変わり、人心も変わります。その変化は大変なスピードで変わってゆきます。この時代の変化の中で、67年の間に希心會の行は変わったのでしょうか?この問いは、お釈迦様の滅後2500年間に仏道が変わったのか、法華経が変わったのかということへの問いと同様です。仏道も法華経も、その神髄は変わらないからこそ、人々は2500年前の教えをずっと継承しているのだと思います。希心の法華経も、歴史はまだ67年ではありますが、その行、その神髄は変わっていないと思います。それは、今日ここに参集して頂いた多くの導師、信者の方がまさしく行って頂いているように、希心の法華経を先達から正しく継承し、正しく行じ、正しく次に伝えて行くことをしているからこそ、私たちは胸を張ってこの行を広宣流布し、迷っている先祖を救い、成仏させ、私達個々の生きる目的、人生の意義を感じられているのです。

 希心會は、各支部があって成り立っています。各支部長は希心の法華経に出会い、その神髄を理解し賛同し、ご自分の生活をかけて支部を発足、維持して頂いております。このことを思うと、本当に頭の下がる思いです。会員の皆さんは、それぞれの支部に、それぞれの縁で導引かれ、それぞれの支部神様の下で修行をしています。希心會では今まで多くの支部が発足し、継続し、あるいはその使命を終え、あるいはその意志を継いだ者が継承して現在は22支部となっています。長年行じている支部や導師もいれば、新たに発足する支部、新たに入会する方もおられます。そして、それぞれの立場でこの希なる心の会を発展させて行くことが、私達個々の修行なのです。

 その希心會の重要な行の一つが御山修行です。正月三日に普賢様に願い出をさせて頂いた時には「御山修行について反省する者数少なし惰性の行にては許し難し」との御詞がありました。そして「埋もれし我が子数多しぞ、確と末端に至るまで慈悲かけ御山修行の尊さ説き聞かせよ」と厳しく言われました。「御山修行は年中行事で支部長が願い出たこと」と思っていたら大間違いです。御山修行は私たちの行次第では無くなることがあるのです。そして、支部長は皆さん一人ひとりの因縁洗浄が成る様に、皆さんになり代わって「約束した人員を全うするので御許し頂きたい」とお願いしたのですから、皆さん一人ひとりが御山修行への意志を確認し、目標を持って今年の御山修行にの臨まなければなりません。会員一人ひとりが「次は無いかもしれない」という危機感を持って、今年の御山修行に臨んで頂きたいと思います。

 そして、御山修行は「日々の行」があってからこそ意味のある修行であること、日々の導引きがすべてに繋がってゆくということを認識すべきです。入会してから一部経を頂くのも、入神をして法名をおくれるようになるのも、曼荼羅を頂くのも、ご自分の御守護尊神に御出現頂くのも、すべては導引きがあってこそ成るものです。ですから、支部で、法座で、行の仲間で、もっと「どうやったら導引きができるのか」ということを話し合うべきです。

 この広い世界で、希心の法華経に巡りあった私たちは、その縁に感謝し、その縁を生かさねばなりません。日蓮上人は「この生(しょう)を空しうすることなかれ」という言葉を残されています。私たちが幸運にも今生で巡り合うことができたこの縁を大事にし、空虚にならないようにしなければなりません。希心會開教67年のこの良き日にあたり、今一度私たち一人ひとりが己の使命、やるべきことを再認識しましょう。初心に帰って「希なる心の会」に巡り合ったことを大神様に、諸佛諸天善神に、そして先祖に感謝し、日本中の仲間と共に、今年も行じてゆきましょう。合掌


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