平成30年身延七面山祈願参拝下山祝賀説法会 会長説法

 平成という時代最後の身延七面山修行は、今までと全く違った修行でした。第二陣の濱田支部の時に台風21号に見舞われ、暴風雨の中山上まで修行しましたが、山上では停電、断水という暗闇の中、水も、食事もないという状況でした。その上、参道の大木が何本も倒れ、身延七面山の開祖日朗上人依頼700年間続いた参道が分断されて一時下山が出来なくなりました。導師、信者の協力、敬慎院の方々のご協力で何とか下山しましたが、大変な難行をされました。その後は、参道が閉鎖されていた間の支部は23丁まで、仮設参道ができた後は山上までの修行は人員を絞って行うか、途中の坊で引き返すという修行になりましたが、結局ほとんどの支部が麓での修行となりました。

 私が会長に就任してから常に、身延七面山の修行は麓の行にもっと目を向ける必要があると言い続けてきました。今回図らずもほとんどの支部で皆が麓の行をすることになり、多くの導師が「麓の行の難しさ、大事さ」を感じることができたと思います。私は、大神様が希心會に対して、そのような行をするように、麓の行を考えるように仕向けてくれたのだと信じています。

 今回麓の行になったということを、皆さんはどのようにとらえるでしょうか?地球温暖化という、私達現代人が利便性を追求した結果、このような事になったのか?それとも、私たちの行が足りず、成仏できない多くの先祖のなせる業なのか?現代は、特に近年は、日本だけでなく世界中で大雨、台風、火山の噴火、大地震など天変地変が起こり、人々の生命、生活を脅かしています。そして、政治、経済も混乱し、多くの凶悪犯罪、人の命を顧みない無差別犯罪が多発しております。人心は荒廃し、益々孤立化しています。このような状況は、ある意味末法の世と言っても良いのではないかと思います。

 末法の世とはこの世の終わりという意味ではありません。お釈迦様の教えを理解し、実践する者がおらず、悟りに達する者もいないという時代のことです。まさに自分が良ければよい、後は知らないという現代人の感覚こそ末法の世を表わしていると思います。そんな世の中だからこそ、私たちは「末法総鎮守」である七面大明神のお膝元で修行をしたのです。山上であれ、麓であれ、私たちの行によって多くの先祖が成仏し、この世界を少しでも良くすることができたのです。

 お釈迦様が入滅される前に、悲しむ弟子たちに向かって言った言葉は「修行者は自らを灯明とし、他人をたよりとせず、法を灯明とし、法をよりどころとせよ」です。「自灯明、法灯明」として有名な言葉ですが、私達自身が灯明=ローソクだとしたらどうでしょう。皆さんは毎日ご自宅でお経をあげる時ローソクを灯すと思いますが、ローソクだけで火がなければ役には立ちません。ローソクという私達自身に「信仰」という火をつけることによって、はじめて灯明としての意味をなし、役をはたせるのだと思いますし、皆さんの周りにいる大勢の悩める人、困っている人を導引き、照らす光になることができるのです。希心會の法華経行者は、この世を照らす灯明にならなければなりません。私たち希心會の会員は、自分の事だけを考えるのではなく、自分自身の信仰心を燃やして周りを照らし、常不軽菩薩の様に他人を敬い、救う灯明になりましょう。そうやって私たち一人ひとりが、それぞれの立場で、それぞれの役によって行をすることが衆生を救い、最終的には皆さん一人ひとりが菩薩行を行うことになり、皆さん自身が幸せになってゆくのです。そして、来年また希心會の御山修行ができる様、祈り、行動をして欲しいと思います。来年御山修行が御許し頂けるかは、私たち一人ひとりの日々の行にかかっているのです。これからも毎日感謝の気持ちを忘れずに、共に精進して行きましょう。合掌


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