H30_9月号_初代会長夫妻銅像建立

希心会初代会長夫妻銅像建立
                   瀧澤支部 支部長 瀧澤 貞行

 平成30年6月2日、夜七時から始まった本部導師会の中で希心会初代会長夫妻銅像披露会の案内が発表されました。その翌朝、私は夢を見ました。希心会三代目会長夫妻が優しい笑顔で私の寝ているところに現れました。そして、三代目会長が「瀧澤さんよ、俺が治してやるよ。」と言って、私のお腹のあたりを聴診器のようなもので何度も触りました。三代目婦師も隣に座り、笑顔で頷いていました。私は、三代目会長夫妻が親の銅像を作ってもらい喜んで下さっている、霊界ではやはり、お分かりになっていらっしゃるんだと思いました。

 平成30年6月24日、瀧澤支部敷地内に於いて、希心会初代会長夫妻銅像の御披露と開眼供養を会長、各支部代表者、霊感者出席の下、無事に挙行されました。昭和49年頃、初代会長夫妻から言われたことがあります。「うちの飯島は、戦争で何もかも焼かれ、なくなり、仕方なく厚木に戻ってきたんだ。本当は帝都で法華経を行じたかった。そうしなければ、日本を救うことができないし、天変地変、様々な難を治めることができないからな。そのことをよく覚えておきな。お前は、法華経の妙薬を皇室に運ぶ役がある。導引き徳を積む、それしか、懺悔を届かせ、世を救うことができない。」私は今日までこのことが頭から離れることがありませんでした。瀧澤支部は東京都渋谷区、甲州街道の側にあります。甲州街道は皇居の半蔵門につながります。初代会長夫妻の銅像は甲州街道と並行して皇居に向かうように建立されていて、朝日も同じ方向から上がってきます。私は毎朝、外に出て初代会長夫妻の銅像に手を合わせています。

 私の家内は喘息がひどかったので、よく寝込んでいました。毎日、導師の人が家内の寝ているところに身體供養をしているのを見ていました。その頃私はまだ法華経を行じていませんでした。身體供養が終わると、不思議に喘息の発作も治まり、不思議だなーと思っていました。ある晩、家内の喘息の発作がひどかったので、私は導師の人がやっていたのを思い出し、家内が寝ている脇に置いてあった御経を読もうと思いました。ペラペラと経巻をめくり、一番短い御経(二十一番)を見つけました。そして、二行の御経を声を出して読み終えると家内の喘息の発作が治まりました。その三日後、また、家内の喘息の発作が始まったので、今度は、経巻をめくり、「薬」の文字がある御経(二十三番)をゆっくり声を出して読みました。するとまた、家内の喘息の発作が治まりました。その後、家内のやっている希心会を一度見てみたいと思うようになり、東京から当時2時間かけ車で家内と共に厚木の本部に向かいました。途中、本尊が金銀で装飾されていたり、煌びやかになっているものだったらすぐに帰ろうと思っていましたが、そうしたものは一切なく、ちゃんちゃんこを着た初代会長が迎えて下さいました。一通り挨拶が終わった後、初代会長が私に言いました。「瀧澤さんは、荷車をご存知ですか?荷車の片方がなかったらどのようになりますか?」私は、勿論知っていますと答え、片方がなかったら、前にも後ろにも左右にも動けなくなってしまい、心棒中心に堂々巡りしてしまいますと答えました。すると初代会長が、「法華経も同じです。夫婦両輪で法華経をやらなければ荷車と同じように堂々巡りになります。」その時から私の法華経は始まりました。初代会長夫妻の倹しい生活の中で厳しく法華経を行じていく姿を拝見し、娑婆に囚われることなく、正しく希心の法華経に帰依し、津々浦々に広宣流布させなければと思い、今日に至っております。

 法華経は礼儀を重んじます。礼を欠くといくら徳を積んでも消されてしまいます。導引きもできなくなります。法華経を行じる中での礼儀、普段の生活や仕事場での礼儀が大切です。希心の法華経は、本部、支部に随順するということが基本です。これを守るから神様の守護があります。守護があるから法華経を行じることができ、導引き徳を積むことができます。この初代会長夫妻の教えの下、只管、導引き徳を積み、支部の発足、子支部の発足の順序が頂けたと感謝しています。これからも初代会長夫妻の教えに感謝し、全国に広宣流布の使命を果たせるよう精進努力をさせていただきます。
合掌

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