■【旧】会報第1号 『会員、信者、行者とは』

希心會会報『希心』第1号(昭和39年4月1日発行)より
『会員、信者、行者とは』 故希心會初代会長 飯島将吉

 信者という者は字にある通り、信ずる者を信者といい、導引かれて体裁だけに朝夕お経巻を上げている者、これは信者ではありません。只の会員だけでわずか30円(当時)の会費を払っているにすぎません。それは信者とは申せないのです。信者とはこの経典にある如く行じなければなりません。しっかり行じ日本中が法華経になって、誰でも丈夫になりどこの家庭も病気災難がなくなるよう、お互いに、ニコニコ家庭円満にならなければならない。頭の先から足の爪先まで法華経にあてはまって導引き功徳を積んで歩くのが行者であります。現在の支部長位になってはじめて行者と認められるのです。皆さんもしっかり徳を積んで支部長になるように精進することです。

 皆さんはそれまでには大変だと思うでしょうが決して大変ではないのです。貴方は何人導引きましたかと聴くと、はい30人導引きましたという。入ったのは何時ですかと尋ねると昭和21年に入りましたという。18年も19年もかかって30人導引いたのでは、一年に二人に満ちません。従ってこれでは決して精進とはいえません。精進とは一ケ月に5人7人と導引き、知人がなくなれば導引き我が子をぐるぐる廻り、その人がまた導引いて各家庭の衆難を救う。この衆難を救うことが法華経行者の務めです。ですからそれを行者というのです。ただお経上げている人は行者ではない、会員です。皆さん一人一人がしっかり行じてどうか行者になって頂くようお願い致します。

 このお正月元旦に申した如く今年は昨年の20倍30倍と魔が働きます。その魔に負けないようにするにはどうしても導引いて功徳を積み、諸仏諸天の御加護を願わなければいけないのです。しかと行じた時には寿命も増益して頂けるのがこの法華経です。医者がこの暮れにはだめでしょうといった病人があると仮定しますと、この人が二月まで生きれば二ヵ月の寿命増益を頂いたことになります。法華経を行ずる皆さんは良く知っているでしょう。大きな手術をしても大して苦しまずにすみ、また病気をしている人もこの経巻を上げている者はあまり苦しみません。一切の苦を救うと書いてあるのですから苦しまないのが本当です。皆さんも人事と思わず日本中の人は皆お友達だ、兄弟だと考えて、自分の導引きの子は絶対放っておかず、月に4・5回は廻るように心懸け、お経を上げていない家は一緒に上げさせ、主人なり奥さんなりにお経を上げることを教えてあげて下さい。そうしなければ絶対に功徳はありません。そうする事によって向う(むこ)様(さま)に功徳があれば自分もまた功徳が頂けるのです。

 ところが導引きっ放しで一年も二年も廻って行かない人があります。それはただの会員で導引いたのではありません。その人を救おうとしていない。それは行者とはいわれません。慈悲を以って月に4・5回は廻って歩く、大勢になると廻れないという人がありますが、決してそんな事はありません。守護神戴いて精進している人なら曼荼羅の方が二・三人はある筈です。その人等に自分の信者を廻るように教え込んでいるならば、決してそれ程大変ではないのです。必ず守護神の下には曼荼羅がある筈、曼荼羅が無くて守護神を戴いた人がありますが、これは守護神を戴くだけの段階に入っただけで下の信者を作らないのですから、よくしっかり信者廻りをして下に曼荼羅を戴くようにすることです。

 その曼荼羅、南無妙法蓮華経とは如何なるものかというと、一切衆生を救うべきものであるという事です。自分だけの功徳を頂いて喜んでいる方がありますが、そういうものではない。農家の方にしても自分で食べるだけの作物を作っていたらどうです。余分な作物を作って市場に出し、売るものがあって始めてお金も得られ、自分も楽に暮らすことができ、また人にも食べさせることが出来るのです。この法華経もまたその通りで、自分だけ守護されればいいのではない。衆難を救ってはじめて万万歳となるのです。

(一部の語句、書式等を変更しています。)


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